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◆編集者の仕事(3) 楽しかったPR誌作り
「本を選ぶ」(ライブラリ-・アド・サ-ビス発行) 【No.240 2005/05】

 1974年、社がまさかの倒産をした。安定した教育出版社というイメ-ジがあっただけ
に、ショックは大きかった。開発の部署から新書の編集部に回された直後のことで、しばらく本作りはあきらめざるを得なかった。
 約半数が、希望退職を受け入れて退社。有能な編集者も多数社を去っていった。伝統も信用も資本の論理にはかなわない。会社更生法の適用を受けて、元の状態に戻るまでに10年かかった。
 その間私は、宣伝部でPR誌の編集に携わった。雑誌作りの経験もノウハウも全くなかったが、それだけに新鮮でおもしろい仕事だと思った。毎号著名な学者や作家・評論家などに登場いただいて、座談会や対談を組む。もちろん企画の宣伝媒体という性格上、テ-マは毎回異なるのだが、お一人お一人の学識に加えて人間性が伝わってくるのがたまらない魅力だった。座談が終わって一息つくときの会話が、また何とも楽しい。
 速記録を編集する作業は、傍目でみるよりずっとむずかしいことを身をもって体験した。当初は、手書きで3回くらい書き直した。発言の真意をできるだけわかりやすく、ふくらみを持たせて表現したいと努力した(そこまでは言っていないとクレ-ムが付いたこともあったが)。
 経験上、雑誌作りのポイントは二つあるように思う。
 一つは、特集を組む場合のテ-マ設定と執筆者の組み合わせの問題。私の場合、あるテ-マに対しては、正論を出すと同時に必ず強力なアンチ企画を用意してテ-マの広がりを考えるようにした。執筆者の個性によっては主張が逆転するような場合もある。編集者の自己主張は最低限に抑えなければならないから、そこをどう取り持つかが編集者の腕ということになる。
 もう一つは、10数本から20本におよぶ多彩な原稿をどう組み合わせ、配列するかという問題。時々の時代風潮や話題の人物を強調することは当然としても、他の企画への配慮をおろそかにしてはならない。ペ-ジは少なくても、工夫をこらしたいくつかの連載・筆先鋭いコラム欄などはその雑誌の個性を決める。記事の配列に、一般的傾向はあってもル-ルはないのだから、私の場合 遊び心を持ちながら「ピタリと決まる」まで時間をかけて考えた。
 30歳でこの雑誌にかかわって、記念すべき100号にたどりついたときは、すでに40代半ばとなっていた。
 一号一号の積み重ねも、習慣になってしまえば時間の経過は驚くほど早い。物事を考える際の血となり肉となっているかは、今は何とも判断できない。
 そのPR誌を卒業して単行本の部署に異動したとき、バブルがはじけた。今思えば、よき時代だった。
                                     (伊藤雅昭:みやび出版)

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